離せば赦す

また書き始めました

不味い、初体験。

子供の頃は子供らしく偏食で、大してグルメでもなかった。それどころか家族で外食に行き、それぞれ好きなものを注文して両親や姉が「これ美味しいね」「このお店イマイチだね」「なんかリニューアルオープンしてから美味しくなくなったね」など、テーブルに乗った料理について言及しながら食事をするのだが実は私だけその美味しいや美味しくないが全く分からず、分からないから自信もなく適当に頷いていた。ひょんなことから高校生の頃にカミングアウトするに至ったのだがそれはそれは驚かれ、家庭内で審議が入った。

家族の会話に共感できないあたりから自分はバカ舌だと自覚しはじめ、自分の舌をどんどん信用しなくなった。私の箸が進まなくてもそれは美味しくないわけではない。実際、家での食事も小学生の頃は相当時間がかかっていて3時間経っても完食できないこともあり呆れられた。時間がかかることは勿論、外食時は食べきれないことが理由でも残してしまうと家族からは当然のようにお叱りがくる。小学生の自分には飲食店の一食はとにかく量が多かった。スポーツをしていたわけでもないのでお世辞にもよく食べるとは言えない。あの頃の自分に戻りたい。飲食店に入ればハーフサイズがあるわけでもないのにひとつは注文しなければならず、それが食べきれずに残してしまうととかく両親や姉から非難を浴びた。残してはいけないという概念は家族だけではなく当時の学校給食でもご法度だったし、なんなら平成生まれなのに脱脂粉乳みたいな飲み物が出てくる保育園に通っていて拷問のような給食に何十分も時間をとられた。あれは脱脂粉乳だったのだろうか。お昼寝の時間がきても完食を強要されたのは思い出したくない思い出だ。

 

保育園からそんな環境だった上に家族から外食のたびに怒られる羽目になる自分は「とりあえず残さず食べることが食事に対するルールであり最優先だ」と学ぶ。そう課したところで食べきれるはずがないのだが、父が異常に好きで週末のたびに付き合うことになっていたラーメン屋で頼む炒飯が割と好きな食べものの部類だと気づいてからは食べることに意欲を持ち始めた。「美味しく食べていますが胃の容量が限界でした」というアピールはそれまでの自分の態度に不足していたらしく、叱られないということはないがボルテージは下がったように思えた。残さず食べることの意欲ってこんなに違うのだなと実感してからはより自分の胃に厳しく接することとなる。

そんな学びを得てから更にその価値観は覆されることとなるのだが、それはほどなくしてやってきた。小学校5年の頃、何かしら用事のあった姉を迎えに行く前に夕飯をとろうと一見で街の汚い中華屋に入った。当時父はラーメン狂だったから店のジャンルこそ譲らなかったが、ラーメンが苦手で炒飯が好きな私にある程度配慮して炒飯がありそうな店に入ってくれた。そんな配慮を当然のように感じていた心も体も幼かった私は、案の定そこで炒飯を注文した。両親はですよね、アノといえば炒飯だよね、というリアクションしかしない。両親は麺類だったと記憶している。

炒飯という料理が好きらしいと自覚していたが、なんだか後半満腹とは違う意味で苦しくなって残すことも多々あった。それがどういうことなのかイマイチ分かっていなかったがどんどん進みが遅くなり終いには手が止まりそして残すというラストが当然だったし家族はそれを許容したくなかった。今回はどうだろう、なるべく残さずに食べよう。炒飯は私の好きな料理なんだから。そう思いながら提供を待っていると初めて入る店の初めて目にする炒飯が運ばれてきた。

茶色い。茶色い炒飯なんてまぁ珍しいことでないが、何かが違う。油っこくてヌルヌルした茶色。お世辞にも美味しそうとは言えないが、割と正統派の炒飯だろうにどこか個性的なそれ。「ここの炒飯はどうだろうねー」と母や父が呟きながら食べるのは私自身だ。一緒に運ばれた銀のスプーンを聞き手にとって一口目を口に運ぶ。

辛い。

炒飯なのに辛い?

二口食べる。辛い。

カレー味ではない。だが辛い。

塩辛いの部類の辛さなのだが、ただ塩を入れ過ぎたわけでもない独特の塩辛さ。

薬品チックな辛み。薬品って辛いっけ?苦くなかった?そうそう、苦みのある辛さだ。若干人工的な塩辛さ、そういうことではないか。

ネギも辛い。しっかり炒められてるのに辛いネギ。

しかし、私はまだ人生経験のない子供だ。家族が話している美味しいとか美味しくないとか、頷いてはいるが実感したことがない(高校生のカミングアウト前)。ここですぐに残してしまったら私は他に何を食べるのだろう。別に満腹でもなんでもない中でスプーンを置いて残すなんて言い出したら家庭内では戦犯だ。どうせ帰り道にアイス食べたいなんて言い出して火に油を注ぐのだ。この炒飯の油を使って欲しいくらいギトギトというかヌルヌルしているのだがそんなに油っぽいのに辛みが勝つという謎の仕上がりを自分の経験が足りないからだと自分の中で仮定、いや断定していた。

少ししたら父も母も「ここのお店は美味しい?」と聞いてくる。今すぐにでもスプーンを置きたい辛さのある炒飯だが自分の舌を信じていない私は「うーん?」と首をかしげるしかなかった。メニューは違えど父と母は何食わぬ顔でラーメンと食べ進めているのだから、ひとつの店でそこまで大きく味の評判が変わるという想定もしていなかった小学生の私は(やはり自分の舌はまだ経験が足りないな…)と落ち込みながら残さず食べることを目標に黙々とスプーンを動かした。我が家では残した量はお叱りの程度だ。そう信じて一種の脅迫観念のように辛い炒飯を食べた。

 やがてふと顔を見上げると父も母も食べ終わりそうだった。私もいつになくスピーディーに食べ進めた。大人でいえばあと三口といったところではないだろうか。しかし元々辛い物も得意じゃない私はこの初めて出会った「辛い炒飯」という存在に敗北を認めるしかなくなっていた。両親は「けっこう頑張って食べたね」という顔をしている。もうギブアップしてもいいんじゃないか、親は一口くらい味見をしてみたそうだし、と「ちょっともう食べられない…」と敗北宣言をした。案の定親は叱るよりも先にそれまで私が闇雲に食べ進めていたために尋ねることのできなかった「一口ちょうだい」ができたのだった。それがどんなものだと説明できなくなっていた私は両親に辛みの強いそれを授ける。

母が私からスプーンをもらい私が残した炒飯を一口頬張る。1,2秒ほどして目を見開く。割と目が大きいので迫力がある。父は「どうですか」などと感想を聞くが、母は「食べてみて」とスプーンをバトンタッチした。父も同様にその炒飯を口へ運んだが、もう、満面の苦笑い。全力でひきつった苦笑いを我々に見せた。さては不味かったな?この炒飯、これ以上ないくらい不味かったんだな??私は、自分の舌が感じたことは何だったっけかと振り返った。炒飯なのに辛い。単なる塩ではない。ネギも辛い。大量の油のおかげで冷めてくるほどにヌルヌルが際立ってくる。そうか、これが少なくとも不味い炒飯というものか。その瞬間私は初めて「自分でも美味しいと不味いを判別できるかもしれない」と信じ始めた。実際もっと年月がかかったわけだがそれは偏食傾向が強く食わず嫌いしがちだったことも一因だろうから、きっとバカ舌脱出の素養はあるぞ。一般家庭で育てば、とかく不味いものというのはとかく美味しいものにありつく機会よりも子供の頃としては多いのではないか。

母は「よくここまで食べたね」と、父は「偉いぞ…」と、自分がこの店を選んだことに対する申し訳なさを前面に出したようにつぶやいた。あれ?叱られない。成程我が家では原則食べ物は残してはいけないが不味いとみなされたら残しても問題ないとされるのかと知った。名言されたことはなくても確かに存在していたしそれは味覚がある程度家族の中で合致しているという前提があるのだろう。同じ食事で育っていたこともありその確率は高いという確信があったのだろうか、正直今となってはそこには異論もなくはないのだがそこまで大幅にぶれたことがないのも確かである。何故なら私はバカ舌だったから。

そうか、この薬品のような辛さも不味いというやつなんだな?これが不味いってやつか。昔から私は何でもかんでも美味しいと思うより「違いがわかる」ことに喜びを感じたものだった。この激マズ炒飯はそれが食において初めてできた瞬間でもあり、また両親に叱られデフォだったのに叱られず、帰りに結局アイスを買ってもらった夜だったので最終的には悪くない一日となった。ちなみにあの炒飯は父によると「塩と味の素を間違えた上に量もしくじったのではないか。さすがにいつもあの味を提供しているとは思えない」とのことだった。あの店まだあるのかな。

悪い体験をすることで自分の価値観が分かることも人生は多い。そう考えると人生は悪いことばかりではない。だがあの炒飯はもう二度と食べなくて良い。